(のぼり)

(入間市社寺祭礼幟調査報告書より)

  

幟の立て方

金子神社

(埼玉県入間市西三ツ木)

 掲揚場所は大通りに面した参道の入り口 現西三ツ木公会堂前1〜16の手順で立てる。

幟竿・旗杭の準備

竿の先端に「ぐるり」をとりつける

「ぐるり」の先端にとりつけるさかきとへいそく

「ぐるり」の先端にさかきをとりつける

木製の旗杭をたてる(旗杭は、半永久的に石製で固定されているものが多い)

くさびで旗杭を固定し、かんざし(象鼻)の一方をさしこむ

幟竿を公会堂の屋根にたてかける

旗杭に幟竿の根元を固定する

9〜10   

幟竿の中ほどをはしごで、下方は数人で、おしあげ、更に張綱を反対側からひっぱり、幟竿をたちあげる。

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もう一方のかんざし(象鼻)をさしこむみ幟竿を固定する

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立ちあがった幟竿

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幟を張綱にとりつける

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幟の乳に力綱をとおし、乳と共に吊輪にむすびつけ

15

張り綱を引きながら徐々にひきあげる

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力綱をかんざし(象鼻)に結びつけ、張綱を左右に張って完了

獻素盞鳴尊

整理番号

3−5−1(第33号)

祭礼社寺

金子神社

管 理 者

氏子総代

寸 法 

縦8.76m×幅0.79m

年 月 日

天保13年6月15日(1842年)

奉 納 者

 金子郷三ツ木村氏子中

揮 毫 者

不 詳

揮 毫 文 (きごうぶん)

すさのおのみことにけんず

獻 素 盞 鳴 尊

備 考)現在は掲揚していない。・・・縦書き

 金子神社はもと八坂神社と称していたので祭神素盞鳴尊にささげたてまつると書いたのであろう。

 西三ツ木の金子神社には、2組が残されている。その一組に「素盞鳴尊」(スサノオノミコト)と揮毫されていることからわかるとをり、元は八坂神社であったが、明治9年に金子神社と改称された。この「素盞鳴尊」幟(第33号)と寺竹白鬚神社の幟は、共に揮毫者名は記されていないが、同じ落款が押印されており、また書体も極めてよく似ている。両者が奉納されたのは、天保13年(1842年、金子神社)と安政3年(1856年白鬚神社)であり、その差はわずか14年なので、同一人物の揮毫と考えて間違えないようである。その人物がだれなのかは今の所不明である。

五色祥雲籠聖座

千繩恩霧覆民蘆

整理番号

3−5−2(第34号)

祭礼社寺

金子神社

管 理 者

氏子総代

寸 法 

縦11.23m×幅1.02m

年 月 日

明治15年7月15日(1882年)

奉 納 者

 三ツ木邨敬神社中

揮 毫 者

伊 藤 信 平

揮 毫 文 (きごうぶん)

ごしきのしょううんはせいざをつつみ

五色祥雲籠聖座

せんじょうのおんむはみんりょをおおう

千繩恩霧覆民蘆

(備 考)現在も4月の祭礼前に公会堂前に掲揚している。・・・縦書き

 五種類の色(青・黄・赤・白・黒)の美しいめでたい雲が神様のおられる社(やしろ)の囲りに垂れこめており、また神社の周囲の氏子との関係をたたえたものであろう。なお「邨」は村のことで読みも同じ、「薫沐」(くんもく)は香を衣にこめ髪を洗って身を清めること。

伊藤信平(生年不明ー歿年不明)

 生歿年等詳しいことは不明であるが、日高市の高麗神社の幟も揮毫している。桂洲(けいしゅう)は号。足立区郷土博物館には安政7年(1860年)出された「安政文雅人名録」が所蔵されている。これは「諸国から江戸に遊学して書や画を学ぼうとする者には、入門する師匠を探すため、また書画の制作を依頼したい者には作家の紹介のための便覧として編纂(へんさん)された」(特別展「江戸四宿」同展実行委員会 平成六年)もので、その中に書家として「本郷附木店 伊藤桂洲」の名がみえる。同一人物であるかどうか今のところ断定できないが、明治15年とは20年ほどの差なので、可能性をまったく否定することはできない。